逮捕2回措置入院精神病院行ってきました
精神病院は若い頃から行っていたけど、今から13年ぐらい前に逮捕されて措置入院になった。何故13年と覚えているかと言えば玲子が先日結婚後13年経つと言ってたからだ。玲子と知り合ったのは精神病院入院中だった。つまり私は入院中に精神病院で知り合った女と結婚したのである。現在も彼女は同じ病院に入院している。と、言うか私が退院させないのだ。2回目の逮捕はそれから約3年後の事、玲子が私を暴力で訴えたことだ。それで私はまた野田警察に捕まったのだが、この話を詳しくすると全くの冤罪であり野田警察は2回目の逮捕で私を起訴できると思ったに違いない。まず私は暴力をやってない。しかし留置場内で私選弁護士をお願いした。もしもの事を考えたからである。無理やりでっち上げられて刑務所に入れられないとも限らない。野田警察の事だから信用できない。大して調べもしないのだから。玲子が重度の統合失調症だとは知らなかったのだ。統合失調の玲子は幻覚幻聴で私を常に近所の公衆電話から通報していた。
1回目の逮捕は隣に住んでいた認知症の老人であった。今はもうとっくの昔に死んでしまって空き家になって草ぼうぼうである。この認知症の老人が私を訴えた。完全な被害妄想である。毎日のように隣に住む私を通報していたらしい。近隣トラブルはこの老人がきっかけとなって広がって行った。1回目の逮捕で措置入院精神病院に入院し玲子と知り合って結婚し、その玲子に2回目の逮捕をさせられたということだ。
この様なこと以外にも近隣の住民とのトラブルは他にも存在しているから私は野田市が完全に嫌いになった。そしてそれは老人と日本人全体にも同じ感覚を持つに至った。つまり、日本人が嫌いになった。日本を呪うようになったのである。野田市大嫌い宣言が生まれるきっかけになった。
精神病院は1年近くいたので中の様子がよく分かった。それでいくつでも小説を書ける。また近隣住民の事も絵に描くことができる。怒りがより一層良いものを作らなければと思わせるのである。
狂気以上に私には理性がある。それで彼らは簡単に騙すことができた。私が精神科の医者を騙せたのは・・・神様の声が聞こえる・・・そう言ったからである。狂気と理性の間を行き来することができる。
私は障碍者2級の手帳を得ることができた。今は生活保護を受けている。他人は私を狂っている人間としか判断できない。誰にも私の本性はこれからも見抜けないだろう。統合失調症の私はこれからも堂々と生活保護費で絵を描くことができるのだ。生活保護費は安定している。絵を売るより安定した生活ができる。私は只描くだけでいい。貧困画家と称して傑作を描いて行くのだ。
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